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■ 菊地・菊池(きくち)

【2015/04/20:改編】

# 38位【第一生命ランキング

# 菊池: 第99位 約18万人【明治安田生命ランキング

# 名字由来netによると

96位 菊地 # 全国に約20万人。東日本に多くみられる。
107位 菊池 # 全国に約18万人。西日本に多くみられる。

# 藤原北家隆家流などにみられる。

# 藤原北家末裔が、肥後国菊池郡(熊本県)で名乗ったのが始まり。その後、室町時代に岩手への下った菊池氏の支流が「菊地」に改姓。従って、北日本では「菊地」姓が多い。
・ 肥後の菊池は昔は「ククチ」と読んで久々智(鞠智)と書いた。肥後の菊池には菊池(きくいけ)という大きな池があった。
・ 菊池氏は、大友氏に滅ぼされ、四散した菊池氏は関東や東北へ移動。菊池を菊地に変えた。
・ 鞠智城は続日本紀の698年に初めて出てくる。

# 東日本では岩手県茨城県に、西日本では愛媛県南部に多く見られる。

# 東日本では「菊池」よりも「菊地」が多い。「菊地」は「菊池」が変わったもの。

# 菊地と菊池: 菊地は東北に多い。菊池は肥後の出。ただし、常陸の菊池は東北から菊地が南下して菊池に変わった。

# 菊池氏は戦国時代に大友氏に滅ぼされた。その際に肥後国から逃れた一族が、各地に移住し「菊地」を称するようになった。

# 肥前国菊池郡(熊本県)で藤原氏の太宰府官の藤原政則の末裔が地名にちなんで名乗ったのが始まり。

# 肥後国菊池郡に興った菊池氏が著名。東日本は菊地、西日本は菊池が優勢。

# 太宰権帥(ごんのそち)藤原隆家の子政則の子則隆が肥後国菊池に住んで菊池氏の祖になった。菊池氏からは、米良・本田吉田田中黒木森田などが出て九州各地に広がった。

# 岩手県の菊地家: 陸奥国胆沢郡佐倉河(岩手県奥州市)の旧家。もとはこの地の土豪。

# 歌手の菊地陽子は青森県八戸市の出身。作家の菊池寛は香川県高松市の出身。タレントの菊池桃子は東京都品川区の出身。女優の菊池麻衣子は埼玉県の出身。野球の菊池雄星は岩手県盛岡市の出身。作家の菊池寛は香川県高松市の出身。女優の菊池麻衣子は埼玉県の出身。プロ野球の菊池雄星は岩手県盛岡市の出身。女優の菊地凛子(本名:百合子)は神奈川県秦野市出身。

# 菊池氏は藤原氏の流れをくむ。菊池家や少弐家は平安時代から九州にいた武士。
・ 西の菊池に東の菊地。菊地は菊池の分家。
・ 菊池家は大友宗麟に滅ぼされた。

# 菊地(菊多・菊田)は入り組んで複雑な地形を表す。「キク」は岐、屈、洞も同じ。

【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】より
# 熊本県の菊池氏: 肥後国の戦国大名。肥後国菊池郡(熊本県)をルーツとする。藤原北家の出で、菊池郡の郡司の末裔とも言われるが未詳。南北朝時代には南朝に属して、菊池武光は九州全土に勢力をもったが、後に衰退。南北朝が統一後に肥後国の守護の地位を回復したが、後に大友氏に敗れて嫡流は断絶した。一族の重次が日向国米良(宮崎県)に逃れて米良氏となり江戸時代には旗本で交代寄合。
# 富山県の菊池氏: 越中国氷見郡の国人で、肥後の菊池氏の一族。菊池義政が大友氏に圧されて越中国に逃れた。氷見の土豪の屋代氏を滅ぼして氷見一帯を征した。戦国時代には上杉謙信に仕え、その後は佐々成政に従い、後に前田利家に仕えた。

【苗字の謎が面白いほどわかる本 丹羽基二】より
# 関連姓氏: 喜久智、菊久池、菊千、菊知、規矩地。

# 「菊池・菊地」の地名

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